日本キリスト教団 松本教会
教会の歴史


教会イメージ  1876年7月、横浜で入信した松代出身の長沢弥左衛門が聖書販売の傍ら伝道したのが、松本における宣教の始まりと考えられています。その年のうちに求道者が起こされ、翌1877年横浜からアメリカ・メソヂスト監督教会(美以教会)からI.H.コーレル宣教師が巡回伝道に来松しました。そして、松本での開拓伝道が正式に決まり、1878年7月、川邨(かわむら)天授が初代牧師として派遣され、松本美以教会が創立されました。そして、その後、1890年に小柳町(現在の丸の内)に教会堂を建てました。
 他方、カナダ・メソヂスト教会は、1898年、三上操吉牧師を派遣し、日本メソヂスト松本講義所を設け、塩尻、池田町にも伝道を拡げました。1908年、メソヂスト系三派(米国北部メソヂスト教会、米国南部メソヂスト教会、カナダ・メソヂスト教会)が合同したことに伴って、松本の二つのメソヂスト教会は合同し、日本メソヂスト松本教会と称しました。
 1914年、大柳町(現在の丸の内)に建物を取得、1921年に、M.ヴォーリスの設計による教会堂を建築しました。1922年、E.C.ヘニガー宣教師は鈴蘭幼稚園を開設、1941年の宣教師帰国を受けて、教会付属となり、牧師が園長を兼ねることになりました。
 1926年、教会は宣教師からの援助を離れ、自給独立を果たしました。1941年、宗教団体法により日本基督教団が成立し、松本大柳町教会と改称しました。1944年には、田町教会(現日本バプテスト同盟松本バプテスト教会)および日本基督松本教会(現松本東教会)と合同し、日本基督教団松本教会となりました。しかし、敗戦後の1947年に上記に教会が教団を離脱しました。
 1948年、三和義一牧師が就任し、多くの青年が教会に集いました。1963年、H.ノルマン宣教師による塩尻アイオナ伝道所開設においては、松本教会が母教会となりました。また、1969年には、市役所拡張に伴い現在地に移転を余儀なくされ、新会堂を建築しました。しかし、教会の将来ビジョンを巡り深刻な議論が生じ、教会を離れる者もいました。  1971年、三和牧師に代わり、小倉和三郎牧師が就任しました。鈴蘭幼稚園は1968年に学校法人化されていましたが、この牧師交代により三和牧師は幼稚園長となり、松本教会牧師が園長を兼務することはなくなりました。1978年、100年史を編纂し、辻オルガンによるパイプオルガンを設置しました。また、松本市南部への開拓伝道が始まりました。1991年に、兵藤辰也伝道師を迎え、松本筑摩野伝道所(松本市芳川村井町843-5 TEL 0263-57-8982)を開設しました(現在、島津晃牧師)。
 1992年、20年の牧会を終えて小倉牧師が転任、大澤秀夫牧師が就任しました。以後、新共同訳聖書、讃美歌21の採用、礼拝改革等を行ったり、教会墓園共同納骨堂整備を行いました。  2008年、大澤牧師は16年にわたる牧会生活を終えて松本を離れ、柳谷知之牧師が就任しました。この年は松本教会創立130周年にあたり、記念文集・年史の発行、牧師館建築等の事業を行いました。そして、これまでの教会の歩みを継承して、地域への奉仕、伝道に努めています。